府中に育ちながら、全く聞き覚えがない名前だなぁ~(-.-)と思った。

が!
小学生の頃に郷土カルタなるものを学校でも家でもやったのを覚えてて
「飢饉を救った平右衛門」というがあった。
まさしく!
調べると、この方のことだった。
気になると調べる。。。
【川崎平右衛門定孝】
元禄7年生まれだから、江戸時代の中期ですね。
多摩郡押立村
↓
現在の府中市押立町の出身である。
ご先祖様は小田原の北条氏の家臣であり、親戚には日野本陣名主さんがいるなど
家は名家だったようです。
��代将軍吉宗さんの政策で「享保の改革」が断行されると
平右衛門さんは、今の府中市の原野を開墾して新田開発に成果を上げて、
将軍吉宗の側近である大岡越前に抜擢され、武蔵野新田開発の世話役に任じられるまでに
出世した。。。
その後、
・多摩川両岸の防波堤の改修
・小金井(今の東小金井駅周辺)に栗林をつくり
それを徳川将軍へ献上したり
※困窮の農民救済が目的であった
・玉川上水維持管理
など業績を次々を上げていった('∀`)
苗字帯刀を許され
支配下関東3万石の支配勘定格の代官まで
農民出身で異例の出世をしてゆくことになる。。。
��つづきはまた(o・・o)/~)
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