2013年8月31日土曜日

2日目 女川 「慰霊」


ガレキは撤去されたが

一部には倒れたビルが残されている





地盤沈下した岸壁






各所に慰霊のための花束がある





高台から街の状況が観れる




人が住んでいた頃の街並み



慰霊の折り鶴も色あせている、時間の経過がわかる




____________


「女川」の文字の上に白シールが貼ってある






何処へも行かない線路

この先の「女川」まで

再び線路がつながるにはあと何年かかるだろうか?



_________________






2日目 女川 「追憶」






震災前に訪れた「女川」

いつか行きたいと願っていた場所だったので

嬉しかったのを覚えている。

























2日目 女川 「幻聴」



バスを降りたが、現在地が分からないので

とりあえず、仮の役場へ行ってみることに。

ここには、地元の人がおり、

「ほっ」っとした。








役場内では静かに仕事をされており、

地元の方をやっと見ることができたという「安心感」みたいなものを感じた。








住民台帳の人口が貼ってあった。

しかし、

これだけの人がいるとは到底思えない。

仮設住宅や避難場所から戻ってきてはいないはずで

建前の人口のような気がした。


役場で地図をもらい、旧市街地へ降りてゆく道を

教えてもらった。

途中、中学校の横を遠てゆくルートのようだ。





学校は夏休みで授業はやっていない。

しかし、

その先から「声」が聞こえる

ダンプとブルドーザーなどの重機の動く音しか聞いていなかった

役所は大変静かだった


「声」

笑い声が聞こえる!!


その声の方にカメラを向けると

部活をやる中学生がーーーーいーた!


津波に飲み込まれた街しか見てない自分には

目の前で楽しそうにスポーツをしている中学生がいるということが

何よりも嬉しかったが、

奇跡のような気もした





中学校を横目に見ながら

車では通れない道を下っていた








街が見えてきた。

しかし、全く人が住んでいたとは思えない光景

かさ上げしているんだろうか、

土を均している重機が右へ左へ




真正面には港が見えてきた。

こちらもすっかりと港町の様子がない。




2日目 女川 「人影」



バスから車窓から見る女川が目に入ってきたが、

自分が数年前に訪れた街とは別の街であった。




家や商店が立ち並んでいた場所には

雑草が生え放題、ところどころに供養のための花束

申し訳ない程度の電柱


なにもかもが、自分の知っている女川の街ではない


唯一、記憶に留めている景色とダブルのは

丘の上にある福祉施設だけ




工事関係の車がたくさんあった。



ダンプやショベルカーが引っ切り無しに動いている


が!!


人が居ない!


いや、正確に言えば人は居る。

工事関係者はちらほら見受けられる。


しかし、

この方々には自分の視線は向かない。

だから人は居ない!と感じてしまっている気がした。


自分の視線は

地元、女川の人を探している



東京よりは人が少ないとはいえ、

目の前に広がる一帯には人が少ない、いや、居ない。

女川へ向かっている電車の中には

高校生や勤め人の人が多くは無いが居た。


それが、今、目の前には人が居ないというギャップ

ちょっと頭の整理がつかない



後になって、冷静に考えれば

地元の人が居ないのは当たり前だと思うが、

その時は頭が回らなかったのか、

目の前の「現実」に混乱したのか、

とにかく


人が居ない街にタイムスリップしてしまった感覚であった


________________






そんな感覚のまま

バスの終着点へ着き、バスを降りた。


単なる思い込みで予備知識も無かったので

浦宿の駅から、旧女川駅近辺までのバスだと思っていたので

海岸近くで降りることを想定していたが、

着いた場所は、どこかわからない高台の上であり、

現在地がわからなかった。


そこで近くにいた

ガードマンさんに旧市街地、女川駅付近に歩いてゆきたいと

言ったら

「たぶん、そこの道を抜ければ行けるって聞いたことがある」

と何とも曖昧な返事。


このガードマンさんも女川の人ではなく、

どこか別の場所から来た人だと判り・・・


本当に地元の人はどこにも居ないのか?!と

絶望に近いものを感じた