浅間山には
「人見四郎」という武士の墓跡がある。
石碑があり、
「ここは鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武士人見四郎の墓跡と
伝えられる 平成二年三月 府中市教育委員会」と記されている。
浅間山から人見街道方面を望むように石碑は建っている。
本当に人見四郎さんという武士のお墓があったかどうかは
わからない。
だから
「人見四郎の墓跡」と伝承される場所がある。
「伝承がある」ことを示しているだけ。
ちなみに
「人見氏」とは
【Wikipedia「人見氏」から】
人見氏は武蔵国幡羅郡人見邑を発祥とする一族である。
本姓は小野氏。
家系は武蔵七党のひとつ猪俣党の支流とされる。
猪俣五郎時範の四世、政経とその従弟 清重を祖とするという。
とされている。
人見氏というのは、どこの豪族かと調べると
今の埼玉県の深谷周辺との事。
人見氏の墓も
深谷市一乗寺にあるという。
この周辺は、人見という地名がついており、
人見氏の一族の往来があったのだろうか・・
鎌倉時代、深谷から鎌倉までの往来の行き来に
現在の浅間山付近(人見街道)を通ったことは間違いないであろう。
本当に浅間山に人見四郎の墓があったのか、
後日、掘り起こされて深谷の人見一族と同じ場所に埋葬されたのか・・・
歴史のロマンである。
0 件のコメント:
コメントを投稿